直線上に配置
バナー
        お稽古と        学校の両立
   お稽古
「玉川っ子ぞ!」と小原先生に励まされ、桜吹雪の中を中学部へ通いはじめました。
校舎は、木造の手作りでした。アトラス池かっぱ池と呼ばれた池も、労作の野外教室も、生徒の手作りでした。
入学して初めての夏の合宿で、豚小屋を造りました。
セメントの粉や砂を混ぜて、コンクリートをつくり、豚が喜ぶような小屋を造るため、全校生徒が力を合わせました。
私は、豚がリラックスして暮らせるように、タイル・モザイクで壁画制作に挑みました。
ニュートン(入豚)式は、今思い出しても感激でした。みんなで列をつくり、そこを子豚がみんなの労作の小屋へ入って行くのですが、拍手をして、歌を歌って、迎えました。
お弁当の残飯を係が豚に持って行き、子豚を大きくして、売り、そのお金でお花の種を買いました。
その種を植えて、父兄参観日に間に合うように、きれいなゼラニウムを咲かせ、父兄に「お日様のお店」と称する無人の店で、お花を完売しました。
そのお金でまた子豚を買いました。
そうやって、中学部生徒の財産は増えていきました
経済のしくみをこういう方法で学びました。
森ブタマンションや、野外劇場、みんな生徒の手作りなのがこの学校のすごさです。
日本で一番月謝が高い中学校の子供たちが、裸足になって、田んぼに入って、泥と格闘しながら、稲を植え、マムシに刺されて救急車が来たりしながら、草むしり、刈り入れてて、お餅をついて、食べるのです。
小野丸(農学部出身の天才と紙一重)にしかなつかないヤギに追いかけられ、丘を走って逃げたり、たい肥小屋からミミズを集めてきて花壇づくりに役立てたり、思い出すと、すごくおもしろい学校でした。
遠いので通うのが大変でしたが、時間をかけて通っただけのことはあります。
それが、近年、文学部の新入生のオリエンテーションの時に何度か、OB講師として後輩の前でお話しをする機会を、恩師のフランス文学教授、マダム川田先生につくっていただき、久々に母校を訪れて、私はショックを受けました。
まるで、手入れされたテーマパークのようになっていたのです。
手作りの木造のあった場所に豪華なの校舎ビルが建ち、プロの庭師が手をほどこした洗練された庭が広がっていたのです。
私の玉川学園はどこへ行ってしまったのかと思いました。
人間的な臭いのする、あの雰囲気すごく好きだったのに。
どこになにがあるのかわからないような、雑多に点在した感じが好きでした。礼拝堂の丘の下に、学長先生のお宅があり、太鼓やぐらの隣に、寮があり、食堂があると思うと、いきなり、小学部があり、中学部を通り過ぎると工学部があり、奥の道を進んで行くと農学部があり、秘密の小道や、息切れのする近道なども豊富にあり、道にヘビが寝ていたり、人間の頭より大きながまがえるがいたりで、毎日が冒険のようで、子供には本当に楽しい世界でした。
一番いい10年間、私は玉川学園にいたのだと思います。
絶対大好きです、玉川学園。
卒業しても、ずっと玉川っ子です。


 2003 5/10
                                     



マダム川田
演劇部
直線上に配置
教育実習
構築中