マリカのマイライフ
お稽古編
お稽古していなかったら、どんな自分になっていたのかなと思う。
4歳からお稽古するのが当たり前だったから、
しなかった自分が想像できない。
あ、お稽古ってもちろん、踊りのこと。
習いに行った先生が、児童舞踊では日本で一番有名な先生
だった。
最初の10年、この先生からその後の人生で必要になる大切な
ことの多くを学んだ。
平多先生はすごい先生。
私にとっては、もう、神様のような存在。
思い出すだけで、涙ぐみたくなるほどすごい方。

でも、自分的には、お稽古という言葉は、
「ダンスのレッスン」という意味で、
「今日は、お稽古ない日」とか、
「これからお稽古行く」とかいうように使っていた。
そんなに大好きなお稽古が嫌いになったことがあった。
それは、玉川学園で踊りを見た時。
やってみて、もっと踊りが嫌いになった。
やはり、お稽古は学校の中では決して学べないもの、
とてもプライベートなものなのだと思う。
私も専門学校やカルチャースクールに雇われ講師で
何年も教えに行ったことがある。
雇われるのは嫌いだ。雇われる必要はない。
雇われている枠の中だとどうしても伝えられないものがある。
それは、個人と個人のフィーリングのバイブレーションだ。
私も学校では習えなかった。
個人的に通った先生、平多正於先生や関矢幸雄先生やルイジ先生
から私は学んだ。
誰から学んだか、それが大切だ。
何を学ぶか以上に、誰からということが大切だ。
学ぶ時、師のパーソナリティそのものを技術や知識と同時に受け入れる。
通信教育やビデオで学んだ人が本当には学べないのは、
そこに生身の師の顔がないからだ。
お稽古はとってもプライベートなもの。
だから私は人と一緒になにかを学べない。
私のためだけにお時間をとって下さった方からしか学べない。
一対一でないと学べない。
同じことでも、複数の人に言われた言葉は、自分に言われた気がしない。
自分だけに言われた言葉だけが、
本当に自分の感性に訴えかける言葉だ。
だから私は、デモに参加しないのかもしれない。
大勢でなにか言えない。
言うなら自分一人で、自分の言葉で、言うべき相手に伝える。
だから自分勝手だと言われる。
自分勝手、素晴らしい言葉だ。
それって、誉め言葉か勲章だくらいに思っている。