| 「ルイジのジャズ・ダンス・テクニック」 | 日本語版 |
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"The Luigi Jazz Dance Technique" By Keneth Wydro -------------------------------------- 「ルイジの本との出合い」 マリカ 人はこれを、ジャズ・ダンスのバイブルと 呼んだ。 涙なくしてこの本は読めなかった。 私はその夏、マサチューセッツの ケープコードの浜辺でこの本を読んでいた。 この本は、危険な魅力に満ちていた。 かつてゲーテの「ウェルテルの悩み」がそうで あったように、この本は、人の心をかき乱し、 虜にして、離さなかった。 私はいっぺんにこの本の奴隷になった。 日本語にしよう、私はすぐに決心した。 日本に帰ってくるなり、自分がカルチャーセンターで 教えていた主婦と友社に持って行った。 出版を快く引き受けて下さったことに感謝している。 私がこの本を手にした時、すでに、 イタリア語版やポルトガル語版があったように 記憶している。 |
| 偶然の産物 私は、翻訳をしている時も、めいっぱい 感情を入れて読んでいたので、しばしば 本のページが涙で塗れて、それが 乾いて、ばりばりになった。 わからないことがあると、すぐにN.Y.へ 行って、直接ルイジ先生に質問した。 当時は、ゴールデンウィークくらいの 短い休みでも、しょっちゅう時間を つくっては、NY.へ行っていた。 お稽古も、ごはんも、観劇も、買い物も、 そして、なによりも、婚約者のBがいた。 Bは、困難にチャレンジするタイプのため 私と婚約していた。 Bがいなかったら、NYにお百度参りする ことも、ルイジとの出会いも、この本も、 なかっただろう。 時々私は思う。 もし、私が十代の後半にウィーン大学へ 2度目の夏季大学講座に参加しなかったら どうなっていただろう。 そして、Bが、ウィーンではなく、ドイツを 留学先に選んでいたら、二人は 会えなかったのではないのか。 ルイジの本の日本語訳出版には、 天文学的確率の偶然が重なっていた。 私は、日本人の舞踊家で、はじめて ルイジに師事した弟子ではなかった。 私より前に、ルイジに師事した日本人の 先輩たちはたくさんいた。 でも、みんなルイジの技術を 独占販売していた。 私は、ルイジの技術、芸術性を人々と シェアしたかった。 技術は人とシェアすることで広がっていく。 広がっていくことが、ルイジの願いだった。 誰かの独占物になってはいけなかった。 だから、私がこの本を出版するとき、また、 ルイジのビデオを監修した時、同業者から 反対があった。 そんなものを販売したら、営業妨害だ、 販売するな、そんな電話が出版社に かかってきたという話も聞いた。 それで、余計に力づけられた。 そうか、より多くの人々に知識を提供 することで、その知識は公共のものに なるから、私は正しいことをしているのだ。 私は古くからいる多くの同業者を 敵にまわした。 そのかわり、私の本で多くの人々が ルイジ芸術の仲間に加わった。 |
「本文に書いてあることは、たとえ、不必要と 思われる箇所でも全部訳しておいて下さい」 編集者にそう言われた時は、本当に赤面するくらい 恥ずかしかった。 私は、こんなところ、どうでもいいだろうと思われる 箇所を抜かして訳したからだ。 まさか、編集者が原文と照らし合わせているとは 思わなかった。 翻訳は本当にかったるかった。 共鳴できる箇所の翻訳は嬉しかったけれど、 重要と思われない箇所の翻訳は作業であって、 楽しくなかった。 私は、アーチストなので、とことん、自分の気持ちに 合った表現だけしか、好きではなかった。 翻訳者には一番ふさわしくないタイプだった。 したがって、私は、翻訳書は後にも先にも これ一冊しかない。 これからも、作品の翻訳はできないだろう。 ショーペンハウアーが言っていなかったか。 「人の本の翻訳をする暇があったら、自分が 本を書け」 あれ、それは、「人の本の批評をする暇があったら 自分が本を書け」だったかな。 どちらにしても、ショーペンハウアーらしい発言だ。 私は、とことん個性の強い、口の悪い、なんでも ずけずけと言う、こういうおやじがすごく好きで、 私が言いたいと思っていたことを、具体的に どんどん発言してくれるおやじの言葉は 本当に気分がすかっとして気持ちがいい。 イサドラ・ダンカンが理論武装した時も、 その中に、ニーチェ、ショーペンハウアー、 ワーグナー、ルソー、ベートーベン、 トルストイが入っていた。 ところで、イサドラ・ダンカンだが、ルイジは 絶対にイサドラ・ダンカンの「マイ・ライフ」を 読んでいたに違いない。 どうしてかというと、どちらも、 「あなたの胸に手を置いて下さい。 そして、自分自身の心に耳をかたむけて下さい。 そうすればあなたは、どうやって踊ったらいいかが わかってくるでしょう」 と言っているからだ。 もちろん、イサドラの方が時代が先だから、 ルイジがイサドラを読んだことは、十分に可能で あるけれど、感性の人ルイジが書物を読んだ かもしれないという点は、想像しがたい。 ルイジは、右目が義眼で、読書に適しているとも 思えないし。 でも、偶然に同じことを言っている可能性もある。 天才は、往々にして、偶然同じ波長で考える。 (平成16年10月21日) |